- 私はいかにしてサメにおびえるようになったか -
四国のいずれかの里山では妖怪にまつわる物語が受け継がれていると聞く。子供に妖怪の話をするのは、山の脅威を伝える一方、里山生活に親しむ側面があるらしい(というような内容の新日本風土記を見た)。妖怪話というのは何か悪い事をすると何かが出るよという類が多そうで、大抵が危険回避の理由があっての事だろう。子供らに決まりごとを守らせるようとしても普通に話していては響かない事がある。そこで妖怪の登場だ。子供だって怖いのは嫌だし命も惜しい。妖怪が出るから「しない」というあたりだろうか。
思い起こせば自分の子供時代にもたくさんの怖い話を周囲の大人たちにすりこまれた。妖怪話と決定的に違うのは、実体のある怖いものが出できたという点である。
夜に口笛を吹くと巨大なアオダイショウがズルズルっと出てくるとか、夜中まで起きてるとカマスを持った泥棒が来て拐われるなどなど。その具体性がより恐怖を煽った(未だにカマスが何なのかは分からない)。なぜ妖怪やオバケにしてくれなかったのか!
今思えば何てテキトーで単純な脅しだったのかと思うが、恐怖が規律遵守の原動力だったのは間違いない。ただ、脅しすぎるのはいけない。人生が変わってしまう。そこで今日の本題。
『私はいかにしてサメにおびえるようになったか』
サメに対する恐怖が芽生えたのは映画ジョーズよりも前だ。すばらしい世界旅行のような番組でサメの存在は知っていた。どちらかというとサメよりも熊に襲われる可能性のある土地柄なので、「サメって歯がすごいな」くらいの感覚だったのかもしれない。
決定的になったのは海水浴での危険の権化として鮫が使われた時だ。水難防止にサメの脅威を説くのは良いのだが、親は表現方法を間違えたのだ。「沖まで行かない。このへんの海にはフカがいるからね…ガブっとくるよ」意味深顔で。フカってのはサメだ。以来水面下には、特に足のつかない場所にはサメがいるとしか思えなくなった。プールは大丈夫。
その後も友達と海に遊びに行ってもサメが頭から離れず、膝程度しか水に入らなくなった。ついには飲み食いするだけの海遊びになった。
大人になって、ビーチリゾートで(せっかく行ったので)一回海に入ったことがあるが、サンゴの産卵の時期だったのか、脚にまとわりつく無数の何かにパニックになり、足がつくのにもかかわらず流された事がある。コバンザメがウジャウジャまとわりついているような感覚だった。とにかくサメが怖い。死ぬ。熊ならまだ陸地なので反撃の方法があるかもしれないが、サメはダメだ。海の中では息ができない。圧倒的に不利だ。あの歯は異常だ。ちぎれて死ぬのが確定だ。
映画の話をしよう。ジョーズ(’75)に関してはこれは特大のホオジロザメでどちらかというと重機に襲われる印象。サメパニックというよりヒューマンドラマに括ってもいい。自分が持つ恐怖とは全然違うので今観ても楽しめるだろう。しかし、オープンウォーター(2004)これはダメだ。完全に怖い。思い出しても怖いが、この映画が成立するということは、自分と同じような感覚でサメが怖い人が沢山いるのだという安堵感を得たりもした。
話変わって熊の木彫りを置いている。熊は怖いがその分魔除にもなりそうなので、外から悪いものが入ってこないようにと玄関に置いて磨いている。怖いものを近くに置けば、考え様によっては味方になる。サメに対してもこの方法で行けるのではないかということでこの度サメの写真集を購入した。写真集の存在を知ってから半年悩んだが、ついにポチった。33ドル99セント。
“マイケルミュラーのシャークス”
Michael Muller “SHARKS”
かなり分厚く大きな写真集で約330ページに渡りサメが展開する。ときおりカツオやアジも写り込む。アベンジャーズの俳優さんなどの写真やインスタでも人気のミュラーが渾身のスペックで撮影したものだ。見ようによっては絵に見える。怖いサメとしてではなく、絶滅危惧種としてのサメである。
通常で4-5メートルあるホオジロザメは大型になると6メートルを超える。歳を経たサメは満身創痍である。頭も身体も傷だらけでヒレも剥げている。アザラシなどを襲ったときに反撃されたのだろうか?シャチに狙われたのであろうか?写真を見るにつれ、知るにつれ、心の中で消えていくものと増幅するものがあった。