Bunker Palace Hôtel

バンカーパレスホテルに、ようこそ

エンキ・ビラル監督『バンカー・パレス・ホテル』(1989年)。

ウィキによるとビラル監督はバンドデシネ作家の大御所のようだ。バンドデシネについては詳しくないので調べたところ、フランスなどの絵本であり漫画本でもあるが、漫画よりサイズが大きい本らしい。

エンキビラルのバックボーンなど知らぬまま随分前に観たのがティコ・ムーン('96)だった。劇画調スペースファンタジーのフォルムノワール。最初ティコ・ムーンのポスターを見てフィフス・エレメントぽいなと感じた。内容は違うが赤い髪の人が出てくるせいだろう。どちらを観てもどちらかを思い出す程度に似ているのだ。ただティコの方が先に作られているのだが。

ともあれティコ・ムーンは嫌いじゃなかったが再見する機会もなく忘れていたところフィフス・エレメントを見かけ(何かを思い出す流れで)そうだ!ティコムーンまた観たいぞとなり、監督についてのデータを閲覧していたところ見つけたのがこの映画『バンカー・パレス・ホテル』という訳。ティコムーンより7年古い作品。

さて、バンカーパレスホテルについて。ニセモノ感のある未来道具、アンドロイドも雑、世界を説明しなさすぎといろいろあるがそれも含めて悪くない。無理に好きになるふりとか理解努力をする必要はない。映されている物をそのまま観れば良い気がする。まず色合いが素晴らしい。ブルーを、白を観てもらいたい。廃墟を行くカッコいい車。とにかくフォトジェニックなのだ。サントラなどで感情を誘導しない無音シーンの潔さ等々褒めたい箇所が盛りだくさんなのである。(関係ないが黒澤は七人の侍で雨を見せるために墨汁を入れたと聞いたことがあるが、エンキビラルは酸性雨を表すために牛乳か洗剤を入れたのかな?)ともかくおすすめしたい映画が増えた。

過去の名作を思い起こさせる俳優が演じているのも見どころで、あーこの人!となる。カラックス、べネックス、ベッソンらとは違うアンダーグラウンドのフランス映画でした。

少年と犬

『少年と犬』馳星周著。

多聞(たもん)という名の犬が主人公のロードムービー的小説。いくつかの物語が紡がれていく。幸せになりたいけどなれない、どちらかというと既にあきらめている人達と多聞との出会い。人々は救いがない状態でありながら多聞に優しさを残す。

馳さんはノワール側の、それも弱い部分に属する人達に寄り添った物語を描く人だと思っていたので、ワンコ好きなのは知っていたが、今回の直木賞のタイトルを見て、あれ?いつもと違う?と気になりすぐ読んだ。いやいや、しっかり馳さんだった。それがまた安定で悪くない。

 

【第163回 直木賞受賞作】少年と犬 (文春e-book)
 

 

 

Air Quality Detector

予防衛生関係の出費が多すぎる。介護があるので元々出費が多かったが今年に入って400%くらいだ。いや、家族親戚分を調達してるので900%かもしれん。ワクチンまで打ってる。主な理由は価格高騰だが、余分に買ってる部分も大いにある。高いマスクと高い除菌関連商品でおかしくなった自分の目(プロテクトメガネをかけている)に留まったのが空気質検知器。

ウイルスが付着したものを触った手で云々となるとどうしようもないが、社会生活を営む上ではどうしても不特定の他者と同じ空間で過ごさざるを得ない。触れずとも危険は増す。そんな時に密度を計る目安となるのがこれではなかろうか。人が集まると二酸化炭素濃度は上がる。フィジカルディスタンシングの目的はウイルス含んだ呼気を浴びない、飛沫に触れない、吸い込まない事だろうと思うので、人と一青窈との距離もあるが、濃度を薄めるのも大事ではないかということで、ついに購入した。職場は検知器が付いていて閾値があるが、個人的にも自宅やら車内やら外出先でクリーンエアーを保ちたい。

安い機械だがこれが面白い。検出測定項目はCO2(二酸化炭素)TVOC(揮発性有機化合物)HCHO(ホルムアルデヒド)の三種。機械の精度が如何程か分からぬが、試しに息を吹きかけると数値が上がるし、車や調理などではTVOCがメキメキ上がる。階段の踊り場などではHCHOが微妙に変わっていく。ちなみに二酸化塩素酸ガスを使った某商品の側に機械を持っていくとググッと数値が動く。つまりあれらは空気中に何かをちゃんと放出しているのだろうと思う。携帯用を首から下げてるので「それって効果ないらしいですね」と親切に教えてくれる人に辟易していたが、実は悩んでいた介護関係の臭気も置き型タイプでハッキリわかるほど取れるので何を言われても気にしないようにしてる。喉に良くないらしいですねとも言われるが、汗をかいて、高温になれば塩素ガスがキツくなるので外してる。それだけだ。ほっといてほしい。よくわからんがとにかくいろいろ気をつけてるという意識の問題だ。

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さて、やけに軽くてちよっと怪しげな検知器。大きさはIPhone8くらいで厚みは片岡義男訳のビートルズ詩集くらいだ。おもちゃ感がありすぎるので何か別のものを測ってる気がしなくもないが、まあ信用するとして、より安定した数値を得る為には1時間ほど安置するのが良さそうだ。時折CO2をチェックし1000ppmを目安に空気を入れ替える。理想は600。窓を二箇所開けるとぐっと下がる。窓を閉めると上がる。

この機械の良い所はAQIを表示してくれているとこ。簡単に1から6までで表している。1,2は良好、3,4は悪くなってるよ、5は危険、6は逃げ出せ。残念なのはアラーム機能がないところと日本語じゃないところ、メモリー機能がないところ。値段からするとこんなものだろう。

 

ビターコーヒー

マルコ・イアコメッリ監督(2017伊)

原題 Caffe Amaro(英Bitter Coffee、邦ビターコーヒー)

冒頭ジョズエカルドゥッチの詩で始まる静かな映画。主人公のシモーネが自分に重なり涙が出た。これが自分ではないと言い切れるだろうか?いつでもシモーネと同じ状況になりうる。発作の場面でこちらまで苦しくなった。シモーネは、そして家族はどうしたらよかったのだろうか。

情報が少ない映画でトレイラーだけでは何も伝わらない。ただ、誰かに観てもらいたいと思う。

『Trailer Caffe Amaro』

Michael Muller “SHARKS”

- 私はいかにしてサメにおびえるようになったか -

四国のいずれかの里山では妖怪にまつわる物語が受け継がれていると聞く。子供に妖怪の話をするのは、山の脅威を伝える一方、里山生活に親しむ側面があるらしい(というような内容の新日本風土記を見た)。妖怪話というのは何か悪い事をすると何かが出るよという類が多そうで、大抵が危険回避の理由があっての事だろう。子供らに決まりごとを守らせるようとしても普通に話していては響かない事がある。そこで妖怪の登場だ。子供だって怖いのは嫌だし命も惜しい。妖怪が出るから「しない」というあたりだろうか。

思い起こせば自分の子供時代にもたくさんの怖い話を周囲の大人たちにすりこまれた。妖怪話と決定的に違うのは、実体のある怖いものが出できたという点である。

夜に口笛を吹くと巨大なアオダイショウがズルズルっと出てくるとか、夜中まで起きてるとカマスを持った泥棒が来て拐われるなどなど。その具体性がより恐怖を煽った(未だにカマスが何なのかは分からない)。なぜ妖怪やオバケにしてくれなかったのか!

今思えば何てテキトーで単純な脅しだったのかと思うが、恐怖が規律遵守の原動力だったのは間違いない。ただ、脅しすぎるのはいけない。人生が変わってしまう。そこで今日の本題。

『私はいかにしてサメにおびえるようになったか』

サメに対する恐怖が芽生えたのは映画ジョーズよりも前だ。すばらしい世界旅行のような番組でサメの存在は知っていた。どちらかというとサメよりも熊に襲われる可能性のある土地柄なので、「サメって歯がすごいな」くらいの感覚だったのかもしれない。

決定的になったのは海水浴での危険の権化として鮫が使われた時だ。水難防止にサメの脅威を説くのは良いのだが、親は表現方法を間違えたのだ。「沖まで行かない。このへんの海にはフカがいるからね…ガブっとくるよ」意味深顔で。フカってのはサメだ。以来水面下には、特に足のつかない場所にはサメがいるとしか思えなくなった。プールは大丈夫。

その後も友達と海に遊びに行ってもサメが頭から離れず、膝程度しか水に入らなくなった。ついには飲み食いするだけの海遊びになった。

大人になって、ビーチリゾートで(せっかく行ったので)一回海に入ったことがあるが、サンゴの産卵の時期だったのか、脚にまとわりつく無数の何かにパニックになり、足がつくのにもかかわらず流された事がある。コバンザメがウジャウジャまとわりついているような感覚だった。とにかくサメが怖い。死ぬ。熊ならまだ陸地なので反撃の方法があるかもしれないが、サメはダメだ。海の中では息ができない。圧倒的に不利だ。あの歯は異常だ。ちぎれて死ぬのが確定だ。

映画の話をしよう。ジョーズ(’75)に関してはこれは特大のホオジロザメでどちらかというと重機に襲われる印象。サメパニックというよりヒューマンドラマに括ってもいい。自分が持つ恐怖とは全然違うので今観ても楽しめるだろう。しかし、オープンウォーター(2004)これはダメだ。完全に怖い。思い出しても怖いが、この映画が成立するということは、自分と同じような感覚でサメが怖い人が沢山いるのだという安堵感を得たりもした。

ジョーズ (字幕版)

ジョーズ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 
オープン・ウォーター (字幕版)

オープン・ウォーター (字幕版)

  • 発売日: 2016/08/01
  • メディア: Prime Video
 


話変わって熊の木彫りを置いている。熊は怖いがその分魔除にもなりそうなので、外から悪いものが入ってこないようにと玄関に置いて磨いている。怖いものを近くに置けば、考え様によっては味方になる。サメに対してもこの方法で行けるのではないかということでこの度サメの写真集を購入した。写真集の存在を知ってから半年悩んだが、ついにポチった。33ドル99セント。

“マイケルミュラーのシャークス”

Michael Muller “SHARKS”

Sharks: Face-to Face with the Ocean's Endangered Predator (Photography)

Sharks: Face-to Face with the Ocean's Endangered Predator (Photography)

  • 発売日: 2016/03/19
  • メディア: ハードカバー
 

 

かなり分厚く大きな写真集で約330ページに渡りサメが展開する。ときおりカツオやアジも写り込む。アベンジャーズの俳優さんなどの写真やインスタでも人気のミュラーが渾身のスペックで撮影したものだ。見ようによっては絵に見える。怖いサメとしてではなく、絶滅危惧種としてのサメである。

通常で4-5メートルあるホオジロザメは大型になると6メートルを超える。歳を経たサメは満身創痍である。頭も身体も傷だらけでヒレも剥げている。アザラシなどを襲ったときに反撃されたのだろうか?シャチに狙われたのであろうか?写真を見るにつれ、知るにつれ、心の中で消えていくものと増幅するものがあった。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

映画の方からにしようかな。

ブレードランナーを何度観ただろう。これを鑑賞した人の多くが”何度も”観ていると勝手に思っている。そして好ましいと感じてるのではないか。 公開当初の大々的な宣伝に乗せられて観た時からずっと忘れずに定期的に観ている気がするし、しばらく観ていないと急に今日観たい!となったりする。毎回発見がある。バージョン違いがあるがそれもまた楽しいし解釈が違ってくる。何故こんなに好ましいのかと自分なりに要因を並べてみる。

1.強力わかもとの衝撃

2.レプリカントという初耳

3.クレオール言語な未来

4.「二つで十分ですよ」「わかってくださいよ」

5.空飛ぶパトカー

6.タイレル社屋のデカさ

7.可哀想なレイチェル

8.JFセバスチャン良い人

9.雨のレプリカント

もっとあるが、ここまでにしておこう。Twitterばかりやってると長々書けなくなる。短くまとめようとする癖が付いているようだ。

■未来の刑事手による折り鶴、レクサス社長の孤独なチェス、JFセバスチャンが作ったおもちゃロボット、そして旧型のレクサス6号。どれも悲しい。

古いものと新しいものが融合して更に新しいものが生まれるのは楽しいはずだが、出来上がったものにどこか懐古が含まれてしまい悲しさも追従してくる。

ブレードランナーの全体を覆う悲しさはきっとその融合された世界の中にまるっきり新しいとは言えない要素がたくさん含まれているからだと思う。

この映画が描いてる未来は言語や人種や文化のクレオール化だけではなく、人とレプリカントの融合した先まで想像させてくれる。未来の、さらに未来を。

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

  • 発売日: 2015/03/15
  • メディア: Prime Video
 

で、表題の大好きな小説フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』について。あまりにも悲しすぎてこれ以上は書けない。超オモロイ。このブログを書くために今も読んでるところだが何も言わずとも良いだろう。終わり。

 

Do Androids Dream of Electric Sheep? (S.F. Masterworks)

Do Androids Dream of Electric Sheep? (S.F. Masterworks)

  • 作者:Dick, Philip K.
  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: ペーパーバック